荒波にさらわれたはずの人が、海中から奇跡の生還

船員の生死にかかわる『海中転落』の話です。
あるPCC船で大昔に起こった事件です。そのPCCが南シナ海を航行中に司厨員(Cook)が行方不明になりました。早朝に海へゴミを捨てるため(昔は平気でゴミを海洋投棄していました。)にデッキへ出たようなのですが、それを最後に彼の姿が見当たりません。船内のどこを捜索しても見つかりません。普段の様子から自殺とは考えられません。結局、当時は海上が時化ており、ローリングが激しかったので、ゴミを捨てる時に誤って海中転落したのではないかということになりました。
他にも先輩から聞いた信じられない海中転落の話があります。大時化の中で甲板上に居た人が荒波(青波)にさらわれて船外へ落ちてしまいました。大変なことになった、もう助からないだろうと思った次の瞬間、返す青波で再び甲板上に戻されて、九死に一生を得たことがあるそうです。どこまで本当の話かわかりませんが、乾舷が低く、青波が甲板上に幾度となく打ち上げる船ではいかにもありそうな話です。
海中転落しないよう対策を講じることが大前提ですが、もし万一、海中転落した場合、助かるためには救命胴衣の有無が運命の分かれ道になります。過去の海上保安庁の統計資料によると、救命胴衣を着用していた場合の生存率は89%、着用していない場合の生存率は56%と、救命胴衣を着用しない場合は生存率が半分近くに低下してしまいます。最近は乗組員の安全意識が向上したので、救命胴衣を着用せずに舷外作業する人をあまり見かけません。救命胴衣はあなたのためだけでなく、家族のため、本船に迷惑をかけないためだと割り切って、必ず着用しましょう、着用させましょう。
人が海へ落ちるとあっという間に波間にまぎれてしまい、見失ってしまいます。しかし、温暖な海では数日間、海中にいても生存の可能性があります。実際に南方海上を航行中の外航船から海中転落した船員が数日後に発見・救出されて助かったという事例があります。しかし、極寒の海ではもちろん数時間も生き延びることはできません。海中転落した人の生存可能時間は海水温度によって決まります。
皆さんも低体温症(ハイポサーミア:Hypothermia)という言葉を知っていると思います。寒冷状態で体温が低下することにより生じる様々な症状の総称です。そして低体温症で死亡した場合を凍死と呼びます。体温が低下すると体内で発生している生化学的な反応が起こらなくなり、最終的には意識喪失・心肺機能停止となり死亡に至ることもあります。
人間は体温が32℃以下になると危険な状態となり、30℃以下では死に至る可能性が非常に高くなります。6℃以下の海水中では1時間で死に至ると言われており、冬場の海上に投げ出された場合には、数分で死亡するというのは、この低体温症によるものです。
ある船で若い航海士が行方不明となった事例があります。出港して約1週間後の南方海域を航行中、朝の航海当直に入るはずの航海士が時間になっても起きてきません。不審に思い当人の部屋を探しましたが見つからず、外部へ通じる通路のドアの施錠が解かれていることがわかりました。30分後には航海士から船長に連絡が入り、船長自らが状況を確認しました。総員を起こして船橋に集めて全員で船内の捜索を開始しましたが見つかりません。
2時間後には会社へ連絡し、船を反転させて捜索を開始しました。船内にいないということは、海に落ちたとしか考えられません。結局2日間の捜索活動で発見することができませんでした。もちろん事件性はなかったとのことですが、当時の乗組員にとっては大変ショッキングな出来事だったはずです。特に乗組員の命を預かる船長の心労は私達の想像以上だったことでしょう。海中転落が悲惨な結果になる一例です。